おさんぽキャメラ


ここのところしばらく英語とプログラミング言語とを学んでいる。前者はやむおえずはじめたバイトで必要にかられたことがきっかけで、後者はごく最近からで、AIへの興味、作品のツールとしての可能性、また言語ということ自体への興味が大きい。言語に対する興味は、英語にふれはじめたことでより深まったようにも思う。そしてこの両言語の関係が深いことも、学ぶことの意欲を支えてるような気もする。英語に関しては、中学生の頃はテストが常に1桁で、ア・イ・ウの記号問題が運良く合ってるか合ってないかだけが点数に影響していたようなレベルだった。高校に関しては、なぜか授業があった記憶が全く無い(なかったんだろうか…?)。けど少し分かってくると、もっと知りたい意欲がでてきている。作品をアプローチしていく上でも、やっておいて損は無いと思っている。プログラミングに関しては、単純に社会で生きていく上での技術としても含め、自分との相性の可能性を感じている。もう30歳だけど、自分自身にとっては今が一番若いのだから、まだまだやってみたいことを優先したい。もちろん作品と向き合いながら。今年は複数の展示への出展も決まっている。とりあえずコンペにも出す。

また日記を書くことから離れてしまっていた。けどここに書こうと思ったことに、そういう義務感みたいなものがあるわけでもない。暗室でプリントした作品をセレクトしなければならなかったことも、日記に向かうキッカケだったのかもしれない。4月はいくつかの大きな出来事があって、そのどれもをギリギリのところで通過できたような感じ。気絶しそうなぐらいに辛かったり、絞っても絞っても声がでてこないぐらい恥ずかしかったりもした。自分から動いてみるとなにかが起こる。期待をもってではあまりダメで、それは自分を突き動かすものだった場合におもしろくなる。たぶん小学生の頃からそう感じ続けてる。関西の仲間(勝手にそう呼ばせてください)の存在や、アンドレブルトンが残した言葉なんかに強く励まされながら、いましばらくは自分の作品を形にすることに時間をつかう。

城下浩伺さんの展示を観に北千住のO’keeffeへ。城下さんと出会ったのは確かもう5年ぐらい前。作品を作っている知り合いの人のなかでも、その活動を特に精力的に続けられている方の一人。ケント紙にGペンと墨汁を使って、気が遠くなりそうなくらい緻密な画を描いていて、微視と巨視の二重性を感じさせられる作風も一貫している。

今回の展示も、例えば奥の間にある小作に、それを鑑賞する距離によって見え方が変わることを感じていた。この日の僕には、一見そら豆。すこし近づくとなにかの細胞。さらに近づくと人の群衆のように見えた。それはまず形象の認識にはじまり、距離が縮まることで、その形象の濃度として見えていたものが小さなパーツの集合体として浮かび上がりはじめ、最後は作者の筆跡へと辿りつく。この小作の場合の筆跡は数ミリの線で、真俯瞰で観た時の人の肩幅のような形に見え、線と線との間隔も手伝って、人が集まっている様子にみえたのだった。

ペトリ皿で培養されるカビが形成するコロニーの、その形の一定性とは対照的に、城下さんがキャンバス上に描く形象に均一性はなく、その筆跡の動向は、まるであてどない探求のようでもある。いつ描くことを終わるのかという質問に「ここで終わりかな、というときがある」とおっしゃられていたのも印象に残った。そんな筆跡はまるで作家の”あしあと”にも思える。またそれは画を構成する最小単位という意味で素粒子的、その集合による全体は、ある一つのものが様々な意味に捉えられるという多面性、多層性ということ自体の抽象でもあると感じた。

駅で電車を待っている人たちの多くの視線はスマートフォンに向いている。操作や鑑賞に夢中になっている様子を観ていると、まるで人々が(少なくともその意識は)スマートフォンに吸い込まれていっているように見えた。バイトでVRの体験案内をしていると、体験する人たちは、若い人ほどその仮想現実に意識を自然と委ねる傾向が伺える。たまたまバイト先で観た大手自動車製造工場の現場では、むしろ人が機械の補助をしているような風景があった。人工的につくられた、人間の知性によるそれらのものは、いまや僕らの生活に欠かせない。その”欠かせなさ”というのが、実は僕らに潜伏する菌的ななにかで、一見人間がそれを創り、発展させているように見えて、本当は宿主として利用されていて、欠かせなくなっている、というところまで、そのなにかは順調に増殖してきているんじゃないか。そんなことを想像した。AIは人類という種の子孫で、やがて星を継ぐものになる、みたいな話がずっと頭に残っている。確かに将来脳や肉体に代わるなにかしらが実用的に生まれ、やがて人による操作からの自立もはじまりそう。それは人類の全知を標準装備しているから、それがなにに悩み、なにを思うかを想像できない領域も当然できてくる。犬や猫がなにを考えているのか僕らが完全には把握できないことと同様に。地球が寿命によって、あるいは隕石の衝突とかで消滅するような出来事が訪れた場合でも、肉体という制約の無いAIは生き延びられる可能性がおおいにある。だから人間に思いを託されて、例えばロケットでどこか遠く四方八方へ飛ばされると、着陸したどこかで繁栄を開始できるグループもありそう。それはまるで人類が想像する生命の起源の話に舞い戻るようでもある。

‪E・スミス=バウエンは自分がすっかり困惑した話を、ほとんど潤色なしでおもしろく語っている。アフリカのある部族のところへ行ったとき、彼女はまずことばを覚えようとした。ところがインフォーマントたちは、初歩の段階で、植物の見本をたくさん集めてきて、それを示しながらいちいち名前を行って教え、また彼らはそれがごくあたり前のことと考えた。ところがスミス=バウエンにはその識別ができない。それは植物が見なれぬものであったためではなくて、彼女がそれまで植物界の豊かさ、多様性にあまり関心を持ったことがなかったからである。それに対して現地人たちは、そのような興味は当然持っていると信じ込んでいたのである。‬

(クロード・レヴィ=ストロース「野生の思考」から)

先日観に行った横浜トリエンナーレでいくつかの作品に強く感動したことをメモ。Ragnar Kjartanssonの「The Visitors」はミュージシャン一人ずつが違う部屋に別れ、無線のヘッドフォンを通して音のみを共有しながら、全員で一つの曲の演奏を試みる様子を映像でとらえたもの。上映時間は約1時間あり、真っ暗な空間に浮かび上がるように計9つ、演奏者一人一人の様子が点々と投影されている。

会場の中心あたりに立っていると全体のハーモニーを感じられる一方、個々の映像の付近にそれぞれのスピーカーがおそらく設置されていて、ひとつの映像に近づくとその演奏音もよく聴こえるようになり、演奏者の動作や表情を詳細に観ることもできる。本来セッションは、ひとつひとつの音がミックスされた状態で鑑賞者に届く。しかしこのインスタレーション的空間の場合に、自分の足でそのひとつひとつへ任意に”近づく”事も出来る、という点は、今回感銘を受ける起因の一つに思えた。

会場は、投影された映像以外に明かりは無い為、映像ひとつひとつに目を移していく時、その真っ暗という”間”が、個人と個人の間に横たわる深い隔たりのようでもあり、演奏者一人一人の孤独さをより強く感じさせるし、その個人から発せられるエネルギー的なものを適切に引き立てるフレームのようにも見えた。映像から伝わるリアルさは、演奏者が等身大に近い大きさで投影されていることも手伝っていたと感じる。

畠山直哉さんが言っていた、今回のトリエンナーレのテーマの一つである”接続性”とは、”孤立”があるからこそ成立するもの(「一人一人が地に足を着けて生活している、それが前提になって手をつなぎ合うということ。」と言っていた)という言葉や、先日このブログにも引用した言葉が何度も頭を過った。そして孤独というものがいかに孤独ではないか、を少しだけ理解できた気もした。

この作品を鑑賞している間、なぜだか涙がぼろぼろ出た。今回のトリエンナーレでは他にもいくつかの作品でうるうるしていた。The Visitorsを含めどこかメランコリックな成分に弱い自分を感じたし、「音」というエネルギーの鑑賞に慣れていなかったせいもあったかもしれない。ただそれらを差し引いても強い作品だった。人間は生きものであり、その生きものとしての、とても純粋なエネルギーの強さ、あるいは心地よさみたいなもの(例えば叫ぶように歌う様子はオオカミの咆哮、弦楽器を奏でる様子は羽虫の鳴き声とも重なった)の余韻がずっと残っている。そのエネルギーを”孤独”と呼べること、そしてそれが”調和”することに対しての感涙でもあったのかもしれない。

10月。一人暮らしをはじめて1年が過ぎた。4月から美術施工(アートインストール)のアルバイトと、美術や写真とは全く関係の無いアルバイトの二つを主に続けている。前者は作家をサポートする裏方集団のような感じで、様々な美術館やギャラリー等を現場に一線の作品に関わったりでき毎回新鮮で面白い。ただ頻度が不定期で、だからもうひとつのアルバイトをたくさんやっているのが現状。博物館受付や中国古美術品オークションなどの珍バイトを挟む事もあり、ここ数カ月バイトばかりしている。その間に、引っ越してきた本来の目的までどうも霞んでしまっている気がしている。

写真のそばで生きていきたいという気持ちが根本にあり、だから、それにまつわる様々なことを知りたい欲求があって引っ越してきた。ギャラリーや資料保存といったユニークな経験をしている時、いつも頭に浮かぶのは関西で出会った写真にまつわる人々のことだった。僕に写真のことを教えてくれた人達や、僕の写真のことに対して興味を持ってくれる人達の存在が、その原動力にもなっていた。春から今までの間、そんな人達のことを思い浮かべることもほとんど無く過ごしてきている。

その場所に所属していれば。あの人と一緒なら。これを持っていたら。そういう他力本願の精神を振り返らざるを得ない。自分がうまくいかず、またうまくいかなかったのは、その精神が甘えとして行動に出てしまっていたから。そこにいれば、あとはそこで身を任せていればいい。その意識が、間違っていて、だから、うまくいかなかった。だからコンペにも出せない。個展も、いつもなんだか微妙。彼女にもフラれる。自分の意識に身をゆだねていると、部屋でゴロゴロしているような快適さはあるけど、そうしてると筋肉も、そして思考回路も衰えるし、不摂生にもなって、外出しないものだから精神もやがて荒んでくる。そんな自分のことを誰も助けてはくれない。助けられたとしても、それではいつまでも助からない